先日、同じことを考えていたと書いている記事を読んで、自分のことを思い出した。
少し不謹慎な話をします。
交通事故で亡くなった人がいる。大けがをした人がいる。そういう方やご家族のことを思うと、こんなことを書くのは気が引ける。
でも、当時の私には、これ以外の方法が思い浮かばなかった。
2024年ごろのことです。
仕事は、嫌いじゃなかった
辛かったのは、仕事そのものじゃなかった。
患者さんのそばで働くこと、看護師という仕事そのものは、嫌いじゃなかった。長年やってきて、それは本当のことだと思っている。
ただ、そこにある人間関係と、自分が置かれている環境が、じわじわと体に堪えていた。
「どこがどう辛いか」を言葉にしろと言われても、当時はうまく説明できなかった。パワハラがあったとか、理不尽なことをされたとか、そういうわかりやすい話ではない。でも毎朝、出勤するたびに何かが重かった。なんとなく、ここに来たくない。そういう感覚がずっとあった。
「いい人」でいたかった
私はたぶん、職場で「いい人」でいたかった。
日常業務に波風を立てない。誰かに迷惑をかけない。黙って仕事をこなして、平和に毎日を過ごす。それが私の「正しい在り方」だと思っていた。
看護師長年、ずっとそういうふうにやってきた。患者さんのために。自分の気持ちは、いつも後回しでいい気がしていた。「私がちょっと我慢すれば、全体がうまく回る」という感覚が染みついていた。
それはプロとしての信念でもあった。
仕事をする上で、相手が話しかけやすい環境を作ること。困りごとを相談してもらえる人間でいること。それは社会人として、看護師として、当たり前のことだと思っていた。プライベートで嫌なことがあっても、病院に来た瞬間からそれは関係ない。患者さんにも、スタッフにも。医療の現場では、人と人との間にあるものが、そのままケアの質につながる。だから誰かの気持ちを損ねないことも、場の空気を整えることも、患者さんのためだと思っていた。
だから、職場では波風を立てない。黙って仕事をこなす。それが正しいと信じていた。
でも、それだけじゃなかった。
納得できないことがある。「このやり方はおかしい」と思う。上には従うべきだとわかっていても、自分の中のその気持ちが消えなかった。「こうしたほうがいいのに」という声を、黙らせることができなかった。
なかったことにしようとした。でも、できなかった。
納得できない。でも、周囲を納得させる言葉もなかった。伝わる気がしなかった。言ったところで変わらない。そういう「どうせ」が、少しずつ大きくなっていった。
だから蓋をした。存在を消して、また仕事に戻った。
その繰り返しが、少しずつ自分を削っていた。
「辞める」と言い出せなかった本当の理由
「辞めたかった」のかどうか、当時はそれすらよくわかっていなかった。
ただ、「辞める」という言葉を口に出すことへの、ものすごい煩わしさがあった。
言えば、みんなが驚く。
引き止められる。
「なんで?」と聞かれる。
なんて答えればいい?
理由を説明して、理解してもらって、それでもまた続けてと言われたら?
「辞めたい」の一言が、その先に続く面倒なやりとりの全部とセットで頭に浮かんでくる。驚かれること、申し訳なさそうにしなければいけないこと、うまく言葉が見つからなくて黙ってしまう自分のこと。
それが、もう、全部、うんざりしていた。
波風を立てたくなかった。「いい人」のままでいたかった。でも、限界だった。
その矛盾した気持ちのはざまで、私は出口を探していた。
「事故に遭えばよかった」と思っていた
そのとき私が思いついたのが、これだった。
事故に遭えば、明日から来なくていい。
辞めたいとか、辛いとか、そういう理由じゃなくていい。「事故に遭ったから」、それだけでいい。
誰も責められない。誰も驚かない。引き止められない。説明しなくていい。謝らなくていい。ガラッと、一瞬で、今の環境から切り離してもらえる。
それが、当時の私が思いついた唯一の「環境からの脱出方法」だった。
数日間、仕事中も、帰り道も、心のどこかで「そうなればいいな」と思っていた。もちろん、事故はそう簡単には起こらない。起きてほしくもない。頭ではわかっていた。でも、それくらいしか思い浮かばなかった。
家族には、言えなかった
夫にも、誰にも、このことは話せなかった。
職場には同僚がいた。家に帰れば夫がいた。だから「孤独」とは、少し違う。
ただ、自分の中にあの気持ちが、あんなに大きくなっていたのに、言葉にならなかった。「辛い」でも「限界」でもない。「これだ」と言える言葉が、何もなかった。形のない何かが、ずっとそこにあった。
言えば心配させる。それは口に出す前からわかっていた。だから一人で抱えていた。仕事中も、帰宅してからも、ふとした瞬間に「事故に遭えば」という考えがよぎった。
「いい人」でいようとすることが、自分を追い詰めていたのに、それにすら気づいていなかった。
上司の「えっ」という顔が、鏡になった
ある日の昼休憩。隣に座った上司に、冗談っぽく言った。
「交通事故に遭えば、明日から来なくていいと思っている。何でかわからないけど、何でもいいから、今の状況から逃げたいと思っているんです」
そんなことを言ったと思う。笑いながら言ったつもりだった。でも上司はすごく驚いた顔をした。心配そうな顔で「どうしたの?大丈夫?」と言った。
その顔を見た瞬間、思った。
あ、私、変なこと言ってる。
笑い話じゃなかったんだ、これ。
自分でも気づいていなかった気持ちに、名前がついた
上司の顔が鏡になって、初めて見えたものがあった。
私、この環境から逃げ出したいんだ。
それまで「辞めたい」とすら思っていなかった。ただ毎日をこなしていた。でも、上司の反応を見て、自分の意識の外にあった気持ちが、突然、言葉の形になった。
「逃げ出したい」という気持ちが、ずっと私の中にあった。気づいていなかっただけで。
仕事に集中していると、自分の気持ちを後回しにしてしまう。締め切りのある仕事、緊張感の続く現場では特にそうだ。「今はそれどころじゃない」で、自分の感情をどこかに置き忘れてくる。私がまさにそれだった。
医療従事者として知っている。心の調子が一度崩れると、回復には時間がかかる。そして回復したとしても、壊れる前と全く同じ状態には戻れないことが多い。そのことを、誰よりもよく知っていたはずなのに、自分自身のことは見えていなかった。
当時も、正常な判断ができていなかったのだと、今はわかる。
あの上司の「えっ」がなかったら、もう少し長く気づかないままでいたかもしれない。
同じような気持ちになったことがある人へ
急に今の場所から離れたい、と思ったことがあるなら。
それはたぶん、自分でも気づかないうちに、プレッシャーや疲れで心がすり減っているサインかもしれない。
「辞めたい」とか「辛い」とか、そんな整理された言葉が出てこなくてもいい。「なんかもう、ここにいたくない」という感覚だけでも、十分だ。
誰かに話してみてほしい。上司じゃなくてもいい。同僚でも、友人でも。冗談っぽくでもいい。話したときの相手の顔が、自分の今の状態を教えてくれることがある。
そして、自分自身の気持ちに、ちゃんと気づいてあげてほしい。
「逃げ出したい」は弱さじゃない。それは心が「もう限界です」と送ってきたサインだ。忙しいと、そのサインを無視してしまいやすい。でも無視し続けると、あるとき突然、立てなくなる。
自分を守れるのは、自分だけだ。誰かが気づいてくれるのを待っていても、仕事の忙しさの中ではなかなか難しい。自分がいちばん、自分の変化に気づいてあげられる人間でいてほしいと思う。
私はあの日の上司の「えっ」という顔のおかげで、自分の気持ちにようやく気づくことができた。
あの記事が私に「私だけじゃなかった」と教えてくれたように、この記事が誰かの「私だけじゃなかった」になれたなら。
※本記事は私個人の経験と感じ方を書いたものです。医療や治療の判断に代わるものではありません。不調を感じたときは、医療専門家にご相談ください。


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