月曜日の朝が、怖くなくなりました。
以前は日曜の夜になると、ある感覚がじわじわと湧いてきました。「明日、あの人どんな機嫌だろう」——それだけで、週の始まりが重くなっていました。
退職して、1ヶ月が経とうとしています。
あの感覚が、もうありません。こんなに自分の気持ちって穏やかなんだと、はじめて知りました。
職場でいつも「正解」を探していた
振り返ると、わたしは職場でいつも「正解」を探していました。
自分はどう思うか、ではなく、相手がどう受け取るか。
「この場面、どう答えるのが正解?」「この人はどう思うだろう?」——会話の中で、常にそれを計算していました。無難な言葉、角が立たない返事、顔色を読んだ相槌。自分の意見ではなく、相手に合わせた言葉を出し続けていた。
対立が怖かった。嫌われたくなかった。いい人でいたかった。
気づいたら、自分の意見がどこにあるのかわからなくなっていました。
合わせることで、何かが少しずつ削られていた
職場で「合わせること」が、わたしには苦手でした。
苦手なのに、やり続けた。感情を押し殺して、違和感を飲み込んで、ただこなす毎日。仕事は回っていました。でも、そこに達成感はありませんでした。
クリエイティブなことも思い浮かばなかった。楽しいことも、何もなかった。
消耗しきった頭と心からは、何も湧いてこない。削られていたのは、体力じゃなく、自分らしさだったんだと今は思っています。
月曜日が怖かった、本当の理由
月曜日が嫌いでした。でも、嫌いだった理由は仕事そのものじゃなかった。
「今日、あの人どんな機嫌だろう」——それがわからないまま出勤することが、一番しんどかった。その日の空気が読めるまで、ずっと緊張していた。
自分なりにコンディションを整えて出勤しても、相手の機嫌次第で全部チャラになる感じがしていました。あの徒労感は、今思い出しても重い。
人の機嫌に、自分のコンディションが左右される。慣れようとしました。「自分は自分」と思おうとしました。でも、難しかった。一人で仕事をしているわけではないから。
今は、Googleカレンダーを開くと、自分が入れた予定だけが並んでいます。誰かの機嫌を気にしなくていい。それだけで、月曜日が普通の日になりました。
穏やかな気持ちを、知らなかった
退職してから、Googleカレンダーが変わりました。
以前は、仕事のシフトと締め切りで埋まっていた。今は、会いたい人との約束、行ってみたい場所、やってみたいこと。自分が選んだ予定だけで埋まっています。
カレンダーを開くたびに、少しテンションが上がる。そんな感覚が、以前はありませんでした。
以前の日曜の夜は、「あー、明日からまた病院か……」という気持ちで終わっていました。
今は違います。「もう日曜終わっちゃうのか、また明日から1週間頑張るか!」——それくらいの感覚です。大きな変化じゃないように見えて、これがすごく違う。
嫌なことがない毎日は、ご馳走を毎日食べるより、ずっと静かに幸せです。それがなくなっただけで、こんなに過ごしやすい。
退職して、1ヶ月が経とうとしています。こんなに自分の気持ちって穏やかなんだと、はじめて知りました。
それでも、会いたい人がいる
職場には、話をして楽しい人がいました。一緒にいると気持ちが軽くなる人、わたしの話をちゃんと聞いてくれる人。そういう人たちに、長い間支えられてきました。
ランチの時間が、救いでした。お弁当を食べ終えた後、温かいコーヒーやお茶を飲みながら話をする。辛いことがあっても、イラッとしたことがあっても、笑い飛ばすと、すーっと一緒に消化されていく感覚がありました。午後から17時まで、また頑張れた。
嫌な思いをしないようにすると、会いたい人にも会えなくなる。それは自分で選んだことだし、仕方ないと思っています。でも、その人たちに会えないのが、少し寂しいです。
その寂しさを埋めるために、少し予定を入れているところもあるかもしれません。
退職してよかった、と思っています。でも、すべてが嫌だったわけじゃない。寂しい気持ちが大きくなると、「退職して、本当によかったんだよね?」と思う時もあります。
たぶん、これでよかった。もう戻れないから。この選択が正しかったと思えるように、あとは自分が行動するだけです。
まとめ
退職してから気づいたことを書きました。
- 職場でいつも「正解」を探して、顔色を窺っていた
- 合わせ続けることで、自分らしさが少しずつ削られていた
- 月曜日が怖かったのは、仕事ではなく人の機嫌のせいだった
- 今は、Googleカレンダーが好きな予定だけで埋まっている
職場の人間関係が「合わなかった」のは、わたしの弱さでも、相手が悪いわけでもなかった。ただ、そこにいる必要がなくなっただけ。
場所が変わると、こんなに気持ちが違うものかと思っています。


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