「急に倒れても恥ずかしくない自分」でいたい|看護師の断捨離基準

退職後のリアル

昔から、ものが多い方でした。

捨てたいとは思っている。でも、捨てる基準がわからない。「もったいない」「いつか使うかも」——そうやってものが増え続けて、押し入れの奥に何があるか、自分でもわからなくなっていました。

断捨離やミニマリズムに興味を持ち始めたのは、退職前のことです。忙しい看護師生活の中で、なんとなく「ものを減らしたい」と思いながら、なかなか動けずにいました。

看護師として働く中で、少しずつ捨てる基準が見えてきた気がします。

天国には持っていけない

断捨離やミニマリズムの本を読んでいると、色々な基準が出てきます。「ときめくかどうか」「1年使わなかったら捨てる」——どれも参考になりますが、私にはなかなかピンとこなかった。

そもそも、ときめきってどんな感情?私には、ずっと抽象的でした。

ときめきだけで決められない。

そんな中で、自分の中にじわじわと根付いてきた考え方があります。

どれも大事なものであっても、天国には持っていけない。

せめて今、生きている間だけでも——自分のそばに置いておきたいものだけを置いておく。

看護師としての経験が、私のものの見方を——人生観も、ものとの向き合い方も——少しずつ変えていったように思います。


救急外来が、私の「捨てる」基準となった

捨てる基準がより具体的になったのは、救急外来で働いていた時期のことです。

救急車で運ばれてくる患者さんを、何人も見てきました。事故、怪我、突然の病気——どれも、予告なくやってきます。

看護師は、患者さんの自宅の様子を直接知るわけではありません。でも、運ばれてきた服装を見れば、どんな家に住んでいたのか、想像することができます。

そして、気をつけなければいけないのがパジャマです。

古くなった服を「まだ着られるからパジャマに格下げ」する習慣、ありませんか。

私にも、あります。でも、うっかりそのパジャマで眠っていた日に倒れたら、それで運ばれることになります。救急車の中でも、病院に着いてからも、ずっとそのパジャマのままです。

パジャマは、ちゃんとよそゆきを用意しておく。それだけで、万が一のときに少し安心できます。


「家族に見られてもいいか」が、私の基準

救急外来での経験から、捨てる基準がひとつ定まりました。

家族に見られてもいいかどうか。

当たり前ですが、救急車を呼ぶと、救急隊員が自宅に来ます。急に入院することになれば、家族が着替えや保険証を取りに家へ戻ります。

医療現場で働いていたからこそわかるのですが、入院すると、そう簡単に外出はできません。自分で動けない状態であればなおさらです。家族が代わりに家の中を動き回る。

そのとき、見られてはいけないものが残っていたら——自分ではもうどうにもできないのです。

格好よく言えば尊厳とか内面とか、でも要するにただの片付けです。ただ、災害の備えと同じで、何かが起きてからでは遅い。

そんなに多くはなかったけれど、家族に見られてはいけないものは、早々に処分しました。心の中にしまって、物としては残さない。

入院中の患者さんは、病と向き合いながら、心も体もしんどい思いをしています。ただでさえ辛いそのときに、「家のあれが心配」という不安まで抱えたくない。元気なうちに済ませておくことで、万が一のときに、それだけは心配しなくていい。

年齢を重ねるほど、そういう場面に直面する確率は上がります。片付けは、終活につながっているのかもしれません。


具体的に、どう捨てたか

まず手をつけたのは、家族に見られたら嫌なもの。昔の日記や写真など、そんなに多くはありませんでしたが、これは迷わず全て処分しました。

次に考えたのが、「これは本当に自分の近くに置いておく必要があるのか」ということです。

使っていないものは、誰かに使ってもらった方が、物にとっても幸せなこともある。物の視点から考えると、手放すという選択もある。そう思うと、罪悪感が少し軽くなりました。

判断基準のひとつになったのが、「見たときにテンションが下がるかどうか」です。

高かった服、昔は好きだったけれど今着るとなんか違う服——そういうものが、クローゼットの中にけっこうありました。捨てられないのは、高かったからとか、思い出があるからとか。でも、見るたびに少しだけ気持ちが重くなるものを、そばに置き続ける必要はない。

テンションが下がるかどうかって、もしかしてそれが「ときめかない」ということなのかしら。

スーツやきれいめの服は、全て処分しました。パンプスも捨てました。今はスニーカーだけです。

ひとつ気づいたことがあります。高かったものほど、捨てにくい。

捨てやすさも、実は大切だと思っています。買うときから「これ、いつか手放せるか」を少し意識するようになりました。

そういう意味で、ユニクロのリサイクルは助かっています。店頭のボックスに入れるだけで、捨てる罪悪感がぐっと軽くなる。「捨てる」ではなく「循環させる」という感覚になれる、画期的な仕組みだと思っています。


物が減ると、頭の中も変わる

物を減らしていくと、不思議なことに、気持ちが軽くなっていきました。

「あれはどこに置いたっけ」「これはどうしよう」という小さな迷いが減って、頭の中のノイズが少なくなる感覚がありました。

そして、自分の身の回りにこれほどのものを所有していたことに、改めて気づきます。欲深いとも思う。身ひとつしかないのに、と。

もっと身軽に生きることができるんじゃないか、とも思う。

欲深さに捉われ、整理できず、物に支配されている生活からの脱却——断捨離とは、そういうことかもしれません。

そして気づいたのは、「人からどう見られるか」ではなく、「自分がどうしたいか」という視点の大切さです。自分軸をしっかり持つことで、何を手放して何を残すかが、少しずつ見えてくるようになりました。

もちろん、清潔感は大切です。着心地と清潔感を最優先する。それだけを基準にすると、服を選ぶ時間が短くなり、洗濯や収納もシンプルになる。選択のしやすさは、そのまま家事の効率化につながりました。

天国には持っていけない——そう思いながら手放したものは、不思議と後悔が少ない。


完璧じゃなくていい——でも、パンツは捨てる

断捨離を始めてから、家が劇的にきれいになったわけではありません。まだ「なんとなく置いてある」ものも正直あります。

ミニマリストになりたいわけじゃない。おしゃれな部屋にしたいわけでもない。ただ、何かあったとき、家族が困らない状態で暮らしたい——それだけです。

そして、一つだけ告白します。

今日も、穴の空いたパンツを履いてしまいました。「まだ履けるかな」という謎の判断をして、ずっと捨てられていない。

でも、もし私が救急車で運ばれたら——心の中でそう思ったとき、さすがに観念しました。

今日こそ、このパンツは捨てよう。だから、あなたも。


まとめ

  • 昔からものが多く、捨てる基準がわからなかった
  • 退職前からミニマリズムに興味があり、看護師経験の中で基準が見えてきた
  • 根本の考え方:天国には持っていけない。今そばに置きたいものだけを置く
  • 捨てる基準は「家族に見られてもいいかどうか」——救急外来の経験から
  • パジャマは格下げしない。よそゆきのパジャマで眠る
  • 着心地と清潔感を最優先すると、選択がシンプルになり家事も効率化する
  • 完璧じゃなくていい。ただし、穴の空いたパンツは今日捨てる

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