
買い物は楽しんだけど、最近、満足感が得られていないような気がする。
どれもしっくりこない。なんでだろう?

40代に入ってから、満足感の出どころが変わってきたと感じています。
同じものを買っても、若い頃ほど嬉しくないんです。
夫や周りに合わせて消費しようとしても、満足感が得られませんでした。満たされなかったのは、私に合っていない消費だったからです。「人に合わせる消費」を手放したら、暮らしがとても楽になりました。
- 夫と同じように消費しようとして、満たされなかった話
- 服を選ぶときに見ている、私なりの優先順位
- 夜勤明けの爆食いや買い物発散に、身に覚えがない話
- 「欲しい」「食べたい」「行きたい」がある幸せ
「みんなと同じように楽しめない自分」を、責めなくて大丈夫です。私も、長く同じ気持ちでいた一人だからです。
40代になって、ふと考えるようになりました。
私は、何にお金を使うのが自分にとっていいんだろう、と。
若い頃は、流行っているもの、みんなが持っているもの、雑誌で紹介されていたもの。そういうものを買えば、なんとなく満たされた気がしていました。
でも最近、同じようにお金を使っても、あまり満たされない自分に気づきました。
これは贅沢の話ではなくて、自分にとって価値のあるお金の使い方ってなんだろう、という問いです。
夫と同じだけ消費しようとして、満たされなかった
我が家は、夫婦で同じ家計で暮らしています。
そうすると、「夫が買い物をするなら、私も同じくらい買ってもいいはず」と、どこかで思ってしまうことがありました。
片方だけがどんどん消費していて、もう片方が我慢している。そんな構図に、少し不公平感を持っていたのかもしれません。
だから私も、夫と同じくらい買い物をしようとしていました。
頑張って買ってみても、なぜか満たされない。
買った瞬間は楽しい。でも、その先が続かない。
「これだけ使ったんだから、もっと嬉しいはずなのに」と、自分でも不思議でした。
最近になって、ようやくわかりました。
満足感の出どころが、夫と私では違っていただけだったんです。
対等=同じだけ消費する、ではなかった。
私には、私に合うお金の使い方があるはずでした。
ブランドバッグも服も、見せるためではなかった
ブランドバッグは、いくつか大切に持っています。
でも、普段の暮らしで、それを持って出かけることはほとんどありません。
近所のスーパーに、ブランドバッグを持って行く生活ではないからです。
メイクも、同じでした。
マスクで顔の大半が隠れる生活が続いた時期に、メイクをしてもしなくても、自分の中で何も変わらないことに気づきました。あれだけ毎日していたのに、なくなっても困らない。それが、自分にとっての答えだったように思います。
「誰かに見せるためのメイク」より、「自分の肌が気持ちいいスキンケア」のほうが、私には合っていました。
服選びの優先順位も、変わってきました。
いま私が見ているのは、この3つです。
- 着心地が良いか
- 洗濯機で洗えるか
- シワになりにくいか
可愛いかどうか、流行っているかどうかは、その後の話になりました。
洗濯のしやすさは、私の家事に直結する重要事項だからです。
ドライクリーニングが必要な服は、結局あまり着なくなります。
クリーニング店に持っていくのも、料金を払うのも、また取りに行くのも、すべて私の家事と時間。
「素敵な服」を買ったつもりが、「私の家事を増やす服」を買っていた。
そう気づいてから、服選びがとても楽になりました。
毎日同じような服でも、自分が心地よくいられるなら、それでいいと思っています。
高級車を「働く時間」に換算してみると
看護師として働いていた頃、病院の駐車場にはいつも高級車がたくさん停まっていました。
それを見て、「いいなあ」と思ったことは、あまりありません。
私の頭にまず浮かんだのは、「この車を買うために、何年働かなきゃならないんだろう」ということでした。
車の価格を、自分の労働時間に置き換えて考えてしまうクセが、いつからか付いていました。
そうやって計算すると、大きな車も高級車も、私にはあまり魅力的には映らなかったんです。
これまでたくさんの失敗を重ねて、ようやく自分が何を欲しいと感じるのか、わかってきたような気がします。
そして、退職という選択をしたということは、私には出世欲もそれほどなかったのかもしれません。
夜勤明けの爆食いと、食べることで見えてきたもの
看護師の世界では、よく聞く話があります。
「夜勤明けに爆食いした」
「ストレス溜まったから買い物で発散した」
それで気持ちのバランスを取っている人は、たくさんいました。
でも私自身は、その感覚に身に覚えがありません。
私の夜勤明けは、たくさん食べたいというより、早く眠るためにたくさん食べていた、という感覚でした。お腹をいっぱいにすると眠気が増してくるので、布団に入るまでの儀式のようなものでした。
買い物に出かける元気も、あまりありませんでした。
これは「私のほうが我慢強い」という話ではなくて、発散の仕方が人によって違うんだと思います。
むしろ、夜勤明けにたくさん食べられる人、買い物に出かけられる人が、私には少し羨ましく感じます。
40代になって、自分がたくさん食べられなくなりました。
外食に行っても、若い頃のように楽しめないことが増えました。
そのかわり、見えてきたものがあります。
美味しそうに食べてくれる人が、目の前にいる幸せです。
子供が「これ美味しい!」と笑顔になる瞬間。
家族が箸を伸ばし続けてくれる、にぎやかな食卓。
自分の胃袋が小さくなって、ようやく気づきました。
満たされる場所が、自分の中から、誰かの表情の中に移っていた。
これは、お金で買えるものではない種類の満足でした。
買い物は、楽しみより選択疲れ
買い物をしていて、楽しいと感じることが、だんだん減ってきました。
お店に並ぶたくさんの選択肢を前に、「どれにしよう」と考えること自体に、疲れてしまうんです。
20代の頃は、可愛いものを見つけたら、それがそのまま着たい服で、似合う服でした。
でも40代になると、可愛いものと、自分に似合うものは違うということが、はっきりわかってきます。
その上で選ぶのは、もう発散ではなくて、消耗の作業です。
占いにも、マッサージにも行きません。
「癒される」と一般的に言われているものが、私にはあまり響かないようです。
読みたい本だけは、迷わず買う
何にもお金を使わない、というわけではありません。
読みたい本は、迷わず買うと決めています。
図書館で借りるという選択肢もありますが、図書館に行く、本を探す、期限内に返しに行く。その一連の流れが、なぜか私を締め付けます。
書店をのぞくのは好きですが、最終的には読みたい本をネットでポチッと買うのが、いちばん私に合っているようです。
世間の「節約」「賢い消費」とは違うかもしれませんが、私の中では、ここはちゃんとお金をかける場所です。
「合っていた消費」が、ひとつだけあった
ここまで「合わなかったもの」をたくさん書いてきましたが、これまでの中で、私にとって満足度がとても大きかった消費がひとつあります。
ICL(眼内コンタクトレンズ)手術です。
朝起きてすぐ、世界がはっきり見える毎日。
コンタクトの煩わしさからも、メガネを探す習慣からも、解放されました。
価格は決して安くありませんでしたが、これは「私に合っていた」お金の使い方だったと、はっきり言える支出です。
「人に合わせる消費」では満たされなかった私が、自分で選んで、自分のために使ったお金。
こういう消費は、ちゃんと満足が残るんだと知りました。
自分の中の「欲しい」を、大切にしたい
ここまで読んで、「物欲がない人の話だ」と感じた方もいるかもしれません。
でも、私は違うと思っています。
欲しいものがある、食べたいものがある、行きたいところがある。それは、とても大切なことです。
それを感じられる身体と心がある。今日の暮らしの中に、その瞬間がある。
それだけで、もう十分に贅沢なのかもしれません。
世間の「欲しい」に乗らなくていい。
夫や友人と同じ量を消費しなくていい。
ただ、自分の中から出てきた「欲しい」「食べたい」「行きたい」は、大切に拾っていきたい。
その考え方ができるようになってから、お金の使い方に、少し迷いがなくなりました。
退職して時間ができた今、いろいろなことに挑戦してみたいと思っています。
地元なのに、行ったことのないお店。
ずっと気になっていた場所への、ちいさな旅行。
私が知らない私の満足が、まだまだ隠れているかもしれません。
それを探しに行けることが、いまのいちばんの楽しみです。
「合わないもの」を見極めてきた40代の前半。
ここからは、「合うもの」を探しに行く時間にしたいと思っています。
- 人に合わせて消費しても、満足感は得られなかった
- 満足感の出どころは、人によって違う
- 服も買い物も、自分の暮らしを基準に選び直した
- 自分の中の「欲しい」「食べたい」「行きたい」は大切にしたい
- ここからは、自分の満足を探しに行く時間にしたい
高い服も、高級車も、ブランド品も、悪いものではありません。
ただ、私には合っていなかった。
人に合わせる必要がないと気づいてから、お金の使い方も、暮らしの組み立て方も、ずいぶん楽になりました。
自分中心で生きる、が出来始めました。
※ 本記事は2026年5月時点の私個人の体験と感じ方を書いたものです。消費のあり方や満足感の感じ方は人それぞれです。特定のライフスタイルを推奨・否定する意図はありません。


コメント