
経験年数が長いだけで、なんであの人は怒られないんだろ?
あの人だけ、なんかズルくない?

長くいることと優れていることは、本当は別のはずなんです。
その違和感を、ずっと黙ったまま抱えてきました。
看護師の職場では、「経験年数が長い」ことが能力の高さや発言権とひとまとめに扱われることがあります。長くいることと優れていることは別のはずなのに、その違和感に気づきながら黙ってきました。その息苦しさを言葉にしたのが、この記事です。
- 看護師が「経験年数」で評価されやすい理由
- 「ベテランだから」で許される職場の違和感
- 「教育」が価値観の押し付けになる瞬間
- 組織を変えるより、「降りる」を選んだ理由
上の人への違和感も、意見を言えない苦しさも、あなたがおかしいわけではありません。
新人の頃と、経験で磨かれること
新人の時は、経験がなく劣等感がありました。早く経験を積んで、一人前になりたいと思っていました。
多くの人が、新人の頃はこう思うと思います。
- 早く一人前になりたい
- 経験を積めば自信がつく
- 先輩みたいになれる
経験によって磨かれる部分は確かにあります。例えば、
- 危険察知
- 患者さんの変化への感度
- 優先順位
- 空気感
- 想定外への対応
これは経験値がものを言います。
ただ、看護師の成長を説明する理論では、経験年数を重ねるだけで自動的に判断力が育つわけではなく、振り返りや、周りの支えがあってこそ育つ、とも言われています。
「長くいること」と「優れていること」は別
「経験年数」に比例してアセスメント力や判断力がつくという考え方は理解しています。しかし、看護師を「経験年数」で測る傾向にはずっと違和感がありました。
そりゃ、経験を積めば色々な判断力は磨かれます。だけど、年齢と比例して能力ってどんどん向上するのかなと思うようになりました。
現場で働いていると、だんだん気づいてしまいます。
「長くいること」と「優れていること」は、別だって。
「そういう人だから」が許される厄介さ
しかも厄介なのは、能力差よりも「年次」が強い力を持つこと。
- 仕事が遅くても
- 学ばなくても
- 責任を避けても
- 感情的でも
「ベテランだから」「そういう人だから」で通ってしまいます。
年上の人でも仕事が遅い人、落ち着きがない人、人の失敗を責める人、責任のある仕事をやりたがらない人がいました。しかしその人は「そういう人だから」と許される。世の中でいう「お局」も、たぶん、こうやって生まれるんだと思います。能力ではなく、年次が力を持ってしまう構造の中で。そこに理不尽さを感じ始めました。
逆に若手は、そのような人の下で働く中で、色々な考え方が生まれます。
- ああはなりたくない
- 自分はどんな看護師になりたいか
- 自分の働き方ってこれでいいのかな
- 職場での人間関係は良くしたい
- 将来、自分はどんな看護師になるのかな
そんな問いを持ちながら、日々を過ごします。
定年を数えた自分にシラケた
苦手な年上の人が退職した時、ほっとした気持ちがありました。その人が早く退職しないかと、定年までの年齢を指折り数えたことがありました。申し送りの時はすごく怖く、電話に出ると変な汗が出る。何も言わないけど、それがさらに怖い。
しかし、その人が辞めても、またそういう人が出てきます。またその人の定年を待つ。
そんなことをしている自分は、かなり性格が悪いなと気づきました。
年齢は毎年歳を重ね、その人との距離は縮まらない。能力で評価されない限り、その人を超えることはない。
なんかその年功序列制度に嫌気がさした。シラケた、に近い感覚かもしれません。
「教育」という名の価値観の強制
「教育」というのも、かなり厄介なものです。
「あなたのために教えてあげている」と言われても、考え方が違ったり、看護観が違う中で、分かり合えない部分はあります。
私の考えが馬鹿にされていると感じた時もありましたし、軽く見られていると感じることもありました。
この人にはこの人のやり方がある。同じように私にも私のやり方がある。
しかし、年上ってだけでそれに従わなければいけないのか。本当にその先輩の言っていることが100%正しいのか。
そう疑問を持つようになりました。
そんな人ばかりではありません。尊敬できる考え方を持つ人、私の意見も「好き」「嫌い」という主観的な感覚だけではなく客観的に受け止めようとしてくれる姿勢があると、すごく嬉しかったことも事実です。
「安定」と違和感を口にしない文化
「安定」とは、安心して働くことができるという点ではとても良い側面を持っています。
しかし「安定」とは、新しいことをしなかったり、昔からこのやり方でやってきたんだという考えになりがちです。
上の人の言うことをおかしいなと思いながら、ひたすら耐えている人が組織にはいます。
よく思われたいと我慢している人は信用できない。
そういう人には相談もしませんし、近付きませんでした。
変化せず安定して働きたい人にとって、変化させようとする人や意見に同意しない人は「脅威」となる。その人にとっても変化しようとする人は不快に感じるのです。
「出る杭」として打たれ、組織への気持ちが消えた
それでも違和感を伝えようとすると、こう返されます。
- 「出る杭は必ず打たれる」
- 「身分を弁えろ」
- 「生意気」
変化を求める人を「脅威」として扱う構造の中では、意見はそのまま「攻撃」と受け取られてしまうのかもしれません。
本当にイノベーションを起こす人は、そこを上手に力強く変える力を持っている人だと思います。しかし、私にはそんな力も能力もありません。
私は、組織を変えようなどそんな大それたことをやりたいとも、やろうとも思いませんでした。ただ自分だけでも壊れる前に、ここから抜け出そう。と思いつきました。
私がなりたかった職業「看護師」は、私が思っている以上に大変な職業でした。看護学生の自分にちゃんと教えてあげたい。
年功序列のレールを降りるという選択について、こちらの記事にも書いています。

退職を決めてから、違和感を口にすることは少なくなりました。
この組織がどうなってほしい、良くなってほしいという気持ちが皆無になってしまったのです。
40代で退職を決めるまでに考えたことは、こちらの記事に詳しく書いています。

まとめ
- 経験で磨かれる部分はあるが、「長くいること」と「優れていること」は別
- 「ベテランだから」「そういう人だから」が許される理不尽さが、いわゆる「お局」を生む
- 「安定」は新しいことを拒む側面も持ち、違和感を口にすれば「出る杭」として打たれる
- 退職を決めてから、組織を良くしたい気持ちが皆無になった
このまま年功序列の中で生きると、自分のなりたい自分からかけ離れていく。
そこから降りたほうがいい。そんな警鐘が鳴った、に近いかもしれません。
※本記事は2026年5月時点の私個人の体験と気づきをまとめたものです。


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